旅行業界はこの20年、テクノロジーに翻弄され続けた。エクスペディアが街角の旅行代理店を潰し、Booking.comがホテル料金を透明化し、KlookとViatorが現地ツアーをスマートフォンで完結させた。価格と利便性をめぐる戦争は、ほぼ終わった。勝者はプラットフォームだ。
では次は何が戦場になるのか。
答えは3つの都市の事例の中に、すでに見えている。旅行業の次の競争軸は、ロジスティクスではない。約束を守れるかどうかだ。
パリが間違えたこと
20世紀を通じて、フランスは世界最多の訪問者を誇る観光大国だった。パリはその象徴だ。この街が売っていたのは「夢」だった。ロマンス、優雅さ、芸術、洗練。石畳の路地、キャンドルが灯るビストロ、深夜のエッフェル塔。パリはただの旅行先ではなく、「憧れそのもの」として世界中で売られ続けた。
問題は、パリが安全でなくなったことではない。パリが夢を売り続けながら、現実が静かにそこから離れていったことだ。旅行者は絵葉書の世界を期待して到着し、スリと混雑に出会った。プレミアムな優雅さに対価を払い、受け取ったのはもっと複雑な何かだった。2024年のパリ五輪は、セーヌ川の水質問題や街の清潔さをめぐる問題を世界に発信した。問題が新しかったからではなく、世界中が注目していたからだ。
期待と現実の間にギャップが生まれたとき、傷つくのは観光地そのものではなくブランドだ。旅行におけるブランド毀損は、スマートフォンを持った数百万人の旅行者によって、驚くほど速く広がる。
フランスは今もなお数千万人の訪問者を迎える。しかし高い満足度でリピートし、口コミで広める「優良旅行者」の獲得競争においては、じわじわと後退している。夢のコストは、現実が夢に追いつかないとき、急速に割高になる。
ニューヨークが正しかったこと
通常の観光地の論理で言えば、ニューヨークは成立しないはずだ。うるさく、高く、時にカオスで、そのことを一切隠してこなかった。治安統計は公開されている。地下鉄は冒険だ。コーヒー一杯がアジア各地の食事代を上回る。
それでもニューヨークは、世界有数の魅力的な都市であり続けている。
理由はシンプルだ。ニューヨークは、守れない約束をしたことがない。この街が売ったのはエネルギー、可能性、剥き出しのリアル、そして「世界の中心にいる感覚」だ。訪問者はカオスを期待して来て、カオスと、アートと、食と、人間の密度と、その全てを手に入れる。期待通り。約束通り。
さらに言えば、不快さそのものをコンテンツにした観光市場も存在する。デトロイトの廃墟、チェルノブイリの静寂、メデジンの激動の歴史――「危険」や「スリル」が商品になるケースは珍しくない。危険を売って危険を届けることは成立する。失敗するのは、安全を売って危険を届けたときだ。
日本が正しいこと、そして迫るリスク
日本のインバウンドブームは偶然ではない。安全・清潔・食・おもてなしという約束を、何十年にもわたって着実に守り続けてきた複利の結果だ。2024年の訪日外国人数は過去最高の3,687万人を記録した。円安が追い風になっているのは事実だが、需要の根は通貨よりずっと深いところにある。人々が日本に来るのは、日本が言ったことをやるからだ。
リピーター率の高さ、「また行きたい国」ランキングでの常連ぶりが、それを裏付けている。
ただしリスクがある。オーバーツーリズムだ。京都の路地が歩けなくなり、富士山に予約が必要になり、日本旅行の魅力だった「静けさと丁寧さ」が失われたとき、約束は揺らぎ始める。日本にはまだ対処できる時間がある。問題は、それを使うかどうかだ。
旅行業の次のビジネス
旅行会社にとっての含意は明快だ。ロジスティクスはコモディティ化した。価格比較は検索クエリ一つで終わる。情報戦はプラットフォームが勝った。
コモディティ化できないのはキュレーションと信頼だ。次世代の旅行ビジネスが答えるべき問いは「どうすれば安く行けるか」ではなく、「これは行く価値があるか」になる。
これはすでに起きている。旅行インフルエンサーが新しい旅行代理店になっているのは、チケットを売るからではなく、体験を事前に保証するからだ。鉄道旅行、発酵食品、建築など特定の関心軸で集まる旅行コミュニティは、どんな予約サイトよりも信頼される。法人向け旅行(MICE)が消費者向けより安定しているのも、一度築いた信頼が簡単には剥がれないからだ。
次のフェーズで生き残る企業は、チケットを売らない。「あなたが期待したものが、そこにある」という確信を売る。
観光地という「ブランド」
国や都市は、企業がブランドを競争させるのと同じ構造で観光客を奪い合っている。原則は同じだ。何を提供するかを明確にし、一貫して届け、その体験を守る。
パリは歴史上最強の観光ブランドを作り上げ、それを少しずつ漂流させた。ニューヨークは自分の素顔に正直で、それを求める人を正確に引き寄せた。日本は何十年もかけて「信頼の基盤」――社会的・物理的・文化的なそれ――に投資し、今その回収をしている。
旅行業と、それが依存する観光地への教訓は、約束を売るすべてのビジネスに共通する。
商品は場所ではない。約束したことを届けられるかどうか、それが商品だ。
出典: 観光庁データ、UNWTO統計、各社決算資料をもとに分析。
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